名古屋に生まれ、京都とカナダのあいだで育つ。教師から、プロデューサーへ。そして、戦略家へ。どの章も、同じことを教えてくれた。アイデアは、境界を越えるたびに、かたちを変える。
京都は、言葉になる前に「対比」を教えてくれた。千年の社の隣に、自動販売機。それでも街は、まばたきもしない。文脈は背景じゃない。物語そのもの。
十代を、クリーン&ジャークに捧げた。州チャンピオン。全国大会出場。ウェイトリフティングが教えるのは、ひとつ。重さは、言い訳を聞いてくれない。やるか、やらないか。
JETプログラムで、山あいの小さな村へ。それほど密な共同体では、すぐにわかる。つながりは、流暢さとは関係ない。相手の言葉の奥にある「本当に必要なもの」を、聴き取れるかどうか。
鹿児島で飲食店を任され、僕はおもてなしに深く浸かった。求められる前に、必要を察する心。長い夜は、根性を教えてくれた。その哲学は、品格を教えてくれた。
ロンドンで、すべてが変わった。瞬間を「体験する」側から、「つくる」側へ。国際イベントマネジメントの修士号。評価を受けた、eスポーツの論文。学んだすべてを試した、emc3でのエージェンシー経験。理論と技の距離が、ここで縮まりはじめた。
カナダへ戻り、起業。そして、パンデミックがすべてを書き換えた。けれど制約は、どんな教科書よりも戦略を教えてくれた。お金で問題を押し切れないなら、知恵で超えるしかない。
Boomboxで、すべての章が交わった。LCS、X Games、Call of Duty League。求められるものは毎回ちがう。でも、核心のスキルは同じだった。グローバルなIPを守りながら、市場とフォーマットに合わせて翻案する力。
僕の役割は、ブランドと観客のあいだ、ビジョンと実行のあいだにあった。制作とは、結局、物語ること。ただ、賭け金はより高く、締め切りはより短い。
再び、東京へ。戦略、トランスクリエーション、制作。呼び名は相手によって変わるけれど、追うものは同じ。それを束ねるもの。僕がつくるのは、文化を越えて広がるブランドコミュニティ。戦略、ライブイベント、そしてコンテンツで。床の間のプロセスは、その枠組み。そして仕事こそが、その証明です。
どこで伝えるかで、意味は変わる。
戦略は、そこから始まる。
僕のキャリアは、エンタメ業界でも特に厳しく守られたIPの内側で築かれてきた。Riot Games、Red Bull、PlayStation、Age of Empires。大きなフランチャイズには、必ず「ブランドバイブル」がある。何十年もかけて積み上げた観客の信頼を守るための、ルール。それを破るブランドが失敗するのは、創造的だったからじゃない。不注意だったから。
必要なのは、ルールを守ることじゃない。読み解くこと。どのルールが「耐力壁」で(壊せばブランドごと崩れる)、どのルールが「動かせる」のか(床の間のまわりの、別の観客のためにつくり直せる余白)を、見極めること。
尊重 ・ 自由 ・ 好奇心 責任 ・ 誠実 ・ 優しさ ・ 共感 ・ 創造性
英語で「正しく聞こえる」キャンペーンでも、それだけでは足りないことがある。それが戦略の問題になっていないか、確かめましょう。まずは、話を聞かせてください。
話してみる →